博多の食いもんシリーズその十八。博多雑煮。
『ぞうにに ぶり いれるやら なまぐそうーて くわれんめえが そげなもんな はかたぞうにやなか ほんなごと おかしか しょうがつに なってしもーとるばい』「雑煮に鰤を入れるなんて生臭くて食べられないよ。本当におかしな正月になってしまったよ」
あけましておめでとうございます。本年も「へっぱくBLOG」をよろしくお願いいたします。
まずは年頭にふさわしく(^^;、へっぱく第一弾は「博多雑煮」とまいりましょう。例文にあげたようなセリフは、根っからの博多っ子・博多んもんからちょいちょい聞かれる嘆きであります。元々、博多の旧家(町人・商家)に伝わる雑煮の具は鯛やアラ(ハタ科クエの魚名方言・地方名)が使われとったようで、鰤やら入っとらんとはたしかやったごたります。じゃ、なして博多雑煮に鰤が入るようになったのか、本物の博多雑煮ちゃいったいどげなもんか・・・ということを、屠蘇の回った頭(^^;で考えてみようと思うとります。ちっと長くなりますばってん、よろしゅうおつきあいお願いいたします。
最初に、鯛・アラ雑煮を正統とする主張を文献から(概略)とりあげときましょう。
1:博多ぞうにのよさはダシのきいたすまし汁のうまさにある。餅のほかにいれる具はカツオ菜、シイタケ、鯛の切り身だけ。ちかごろは鶏肉、ニンジン、ゴボウ、スルメなどを入れたゴッタ煮風雑煮もあるが、「ぞうたんのごと、そげん入れてたまるもんかい。鶏肉ば入れたら油の浮いて食べられんごとなる」 そんな博多のごりょんさんの言葉を伝えておきましょう。また、鰤を入れるのも鰤の油がダシの味を変えるから使わないというのが正解(冠婚葬祭博多のしきたり:波多江五兵衛:西日本新聞社)。
2:博多ではなますにぶりを使うが、雑煮には決して使わなかった。魚は荒塩をきかせた鯛かアラ。だしは焼きあごか焼きハゼ、しいたけ、ごんぶ、けずり節。餅は丸餅。大ぶりの椀に、かつお菜、しいたけ。あとはさといも、焼き豆腐までが博多雑煮の古い形。(博多の味:帯谷瑛之介:保育社)。
どちらもなかなか厳しい指摘がされとります。波多江さんは明治39年、帯谷さんは大正5年のお生まれやけんですね、博多の旧家ではそれ以前からそうした雑煮が引き継がれてきとったとでしょうね。ここでひとまず正統とされる博多雑煮がどげなもんか定義しときましょうか。
【博多正統雑煮の定義】出しは焼きあご( 焼きはぜ)・しいたけ・こんぶ・かつお節などでとった澄まし汁。具は鯛(アラ)・しいたけ・かつを菜・さといも・焼き豆腐。餅と具は別鍋でそれぞれ煮ておき、あらかじめ温めておいた出汁を入れたお椀に餅と具をくわえて出来上がり・・・といったところでしょうか。
博多正統雑煮を再現してみました。餅・鯛・さといも・しいたけ・かつを菜・焼き豆腐。下は栗はい箸。
さて、これからが本題。こうした博多雑煮の具の主流が鯛・アラから、なして鰤に移ってきたか、またいろいろ具が増えて多様化してきたかを、「博多雑煮が鯛から鰤に変化してきた理由」を真ん中に据えて考えてみまっしょう。お得意のへっぱくの始まりはじまり~(^^;
まずは古いところから。
【鯛の漁期の問題】明治五年の改暦がある程度影響しとるっちゃなかでしょうか。早い話が新暦になって一月以上もお正月が前倒しになった計算になるでしょうが。明治の博多んもんが新暦の正月行事に慣れる(移行)までどれくらいの年月が必要やったか不明ですばって、この改暦で、ただでさえ盛期とはいえんかった、鯛の漁期・漁場がなおさら遠くなって水揚げされにくくなったとやないでしょうか。また鯛は鰤ほどには塩保存が利かん魚のような気がしとります。
【アラ漁の問題】アラは元々漁獲の少ない魚で、博多近海ではなおさら難しかったとやなかでしょうか。今も昔(筑前国続風土記にもそげな記述のあります)も幻の魚ですたいね。たまたま、去年暮れに西新プラリバ(旧西新岩田屋)に一匹丸ごと(28kgといった大物)売りよったとですが、たしか32万円の値札がついとりました。1キロが1万以上ですばい。たまがりますやね。いくらなんでも庶民むけの値段じゃありまっせん。
【嫁御ぶりの習慣】博多の年の暮れのしきたりのひとつに、嫁ぎ先(の実家)から嫁の実家へ「良か嫁御振りでした」ということで、寒鰤を届ける習慣があるとです。時季が時季やけんですね、鰤が鯛を駆逐した理由の一端を担っとるとは間違いなかでしょうや。
【漁師町の習慣】昔から博多は商人の町といわれとりますが、同時に漁師町でもあるとですね。志賀島・箱崎・伊崎・姪浜といったところじゃ、秋風が渡ってからは鰤漁が主力やったとは間違いのないところでっしょうね。冷蔵保存技術のなかった昔は、鰤が大量に獲れた場合は塩鰤として保存するしかないはずで、(その塩鰤に敬意を込めて)志賀島では今でも神棚の正月飾り(よろずかけ)に塩鰤がぶら下げちゃるとこが多かごたります。この志賀島の「ぶらさげ塩鰤」、あるいは「菰巻き塩鰤」が各漁師町から博多部に入ってきたことは十分考えられることやないですかね。
【志賀島のカンカン部隊】昭和に入って、戦後はなおさら、志賀島のカンカン部隊(行商人:おしかさん)たちをはじめとした魚行商人たちの働きが博多部の住んどるもんの魚に対する好みを変化させたとやないかと考えとります。なんせ多かときな志賀島だけで70とか80人とおんしゃったげなけんですね、そりゃ商人の食いもんも漁師の食いもんに近づいてくるていうもんですばい。
【雑煮の雑という字がもたらす変化】
この「雑」という文字のイメージから自己流に何を入れても許されるという意識が芽生えるとも不思議やない気がします。
【生活感の拡がり】博多正統雑煮を見ると、なんとなく彩りが足らんという感じがせんですか。とりあえずはニンジンの赤を入れて・・・といった具合に、それこそ具が(^^;だんだんと増えていったとやなかでしょうか。物が増え生活が豊かになってきた証拠でもあります。
月桂樹さんちのお雑煮。きれいなお澄まし雑煮ができています。お餅・里芋・蓮根・人参・鰤・椎茸・蒲鉾・鰹菜・大根・昆布・スルメ・鶏肉という超豪華版です。
【鯛から鰤雑煮へ移行した一例】自分は漁師町の箱崎の生まれやけんですね、物心ついたときから鰤雑煮やったです。女房の家は、女房の婆さんが川端生まれで、当然のことに、鯛を使った正統雑煮に近いもん(にんじんと蒲鉾が多い)やったとですが、結婚してMISTAKER流の鰤雑煮になっとります。これで一軒の古い博多雑煮が消滅したことになるわけですたいね。
自分とこの雑煮。恥ずかしながら「丼雑煮」ですたいね。餅・鰤がそれぞれ三個・しいたけ・紅白かまぼこ・にんじん・さといも・かつを菜・ゆず皮。我が家の男はこれを二杯食べるという大喰らい家族であります。この丼雑煮を博多雑煮というのもちょっと気がひけますが、それでも博多雑煮にゃ違いなかですたい。
上述したいろんな変化の理由のほかに、こげんして家庭と家庭の結びつきでひとつの習慣が失われる可能性もあるわけで、博多部出身の人間よりも、(おなじ福岡生まれでも)博多部以外の博多んもんの方が多いっちゃけん、これは仕方ない成り行きかもしらんです。これがましてや博多以外の他所の出身者との出会いだと、それこそまた、その雑煮の変化もいろいろと多くなるわけでしょうが、いよいよ正統雑煮派の嘆きは強まるばかしでしょうたい。ま、それがまた「雑煮の雑煮たる由縁」でもあるわけですばってんね。
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