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2008年7月29日 (火)

いけろーろー

『あみやの いけろーろーの ふっかつしとるて いうけん みにいってきたとばってんがくさ むかしん にんぎょうかざりも のこっとって なつかしかったやね』
「網屋町の生け灯篭が復活しているというので、見に行って来たのだけど、昔の人形飾りも残っていて懐かしかったよ」

【いけろーろー】東区箱崎の網屋立筋・網屋本町・白浜町(旧町名)界隈で行われる盆供養先祖供養のための地蔵祭りのこと。また、その供養のための箱庭飾りのこと。
うったちゃ、「人形祭り」て言いよった気がするとですが、「人形飾り」ていう名称で復活しとります。戦前の博多にあった風習(これは個人的には未確認事項)が、戦後はなぜか箱崎の網屋だけに残っとったとのごたります。箱崎網屋生まれの自分の記憶じゃ昭和30年半ばくらいまでしよったっちゃなかでしょうか。それがここ十年くらいでだんだんと復活してきとるとのごたります。むかし地下もんの自分としちゃ、ほんにありがたいことであります。

さて、そのどげな箱庭かというと、文章よりも写真の方が話しの早いけん、撮ってきた画像でご紹介しときましょう。

Ningyomaturi06

これが自分らが小学生のころつくりよった箱庭=人形飾りに近かったごたります。風情のあろうが・・・。

Ningyomaturi01

今風の「いけろーろー」もありましたばい。筥崎宮の横でお米屋さんしよんしゃるshakeさんがいの「猫ろーろー(^^;」 こん写真のごと、地元ん子供が「ろーろー」に線香ばあげて供養してまわるとです。もちろん子供たちなただで汗かいて歩きまわるこたぁなかけんですね、ちゃーんとジュースやら菓子やらばお土産にもろーて帰るとです。自分らの頃は浴衣着る子も多かったかな。浴衣着る子も着らん子も、みんな盆提灯ぶらさげて回りよったとです。

Ningyomaturi02

shakeさんちでは、ヤクルト一本と、こんパッチン?みたいな「あすんもん(遊び道具)」ば配りよんしゃったです。「いけろーろー」の飾り家では物入り(^^;ですたい。やおいくめえね。ばってん、これで町に活気がでて、子供たちが地域に根付いていくなら・・・て考え願いながら祭りば復活させなったとでっしょうね。良かこと良かこと。

さて、最後に、いつものへっぱく流の語源探求遊びばしときます。
もちろん、ろーろーは灯篭の訛り。ただ問題は、なしてこげな箱庭を生け(埋け)灯篭て言うかですたいね。それこそ灯篭(火を灯す器具・本来は神前や仏前に灯火を献ずるための具)でもなんでもないでしょうが・・・。それでたいがい考えてしぼり出した結論が(今んところね、とりあえずね)、絵灯篭(絵馬灯篭・ぼんぼり類など)による供養に対して、生きた(あるいは埋けた)人形による供養という意味で生け灯篭と称したとやなかでしょうか。そげな気がしとります。

Ningyomaturi03

網屋天神境内の人形飾り会場の写真ですたい。手前に小さな絵灯篭がずらっと並んどるでしょうが、写真上が大絵灯篭。こげな大小いろいろな絵灯篭に対して、箱庭を生きた灯篭とみなしたとやないか・・・ていうとが大まかな推理ですばって、どうですかいなね。

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コメント

> 博多歴を小生埋めさせて頂いておりますから。
こげんして、博多ネタを書いたり、それで返事もろーたり、盛り上がったりで、自分自身も懐かしくなったり気分良ーなったりしよるけんですね、一種のグループホーム(^^;みたいなもんかもしらんですね>自分がた。

投稿: MISTAKER | 2008年8月 6日 (水) 20時17分

>「思い出療法」
まさに、ビンゴ!
二十年ポッカリ空いた博多歴を小生埋めさせて頂いておりますから。
単なる地域の知識や情報の集積でない所がミソですよねぇ(そうならないのが福博精神のよかとこ!って思います。)

投稿: げなげな話 | 2008年8月 6日 (水) 19時31分

> 箱庭療法
初耳でした。
ご先祖さんをしのびながら、いろいろ人形細工を置いていったらこげなもんの出来た・・・なんて感じですかね。爺さん婆さんよい、こん箱庭ば迎え火ん代わりに置いとくけん、早よ帰って来んしゃい・・・なんてですね。良か話のできそうですたい。

自分で言うとも何ですばって、自分のサイトん内容は、一種の「思い出療法」に使えるっちゃないかと思うとります。ま、逆に、うちにゃそれしか、「懐かしもん」しかなかていうことでもあるとですがね。

投稿: MISTAKER | 2008年8月 6日 (水) 01時29分

この風習については初めて知りました。
やっぱり田舎出身?
でも、博多人形店で題材にした作品を見かけ「これこれ!」と一人でうれしくなりました。lovely
関係ないかもしてませんが(ほとんど無いと思いますが)「箱庭療法」みたいだと思った次第です。(季節がら内面に立ち返ったりして‥)

投稿: げなげな話 | 2008年8月 5日 (火) 08時38分

> 読みずらかつたでしょう。
いやいや、こげな書き物こそ、自分はものすご好いとるとですよ。とても面白く読ませてもろーたです。

戦前戦後の博多の町のことを、とくに女性が書かれた記事書籍は少ないけんですね(記憶にあるかぎりじゃ、明治の終わり、中洲生まれの長尾トリさんの本が数冊あるくらいやなかですかね)、hanazonoさんのこの記事はとても貴重に思いましたです。

どげんですか、自分史みたいなもんは書かれちゃおらんとですか。HPかブログかでそうしたものを公開されるお気持ちはなかとですか。なんかとても読みたい気がしとります。ご検討くださいませ。

え~、野村望東尼が流されたという志摩町姫島の蟄居・幽閉先の写真がありますけん載せときます。
コメント下の投稿者名ばクリックしてもろーたらその画像が見れるはずであります。よろしくどうぞ~。

投稿: 姫島の野村望東尼旧跡 | 2008年8月 2日 (土) 20時39分

もう大婆になって思い出も、場所時間が朦朧となつてますが、箱崎の海軍記念日、放生会、これは見世物、お店が一杯で楽しみでした。暮れに祖母、母についてたしか川端あたりやつたと思うとですが「せいもんばれ」に行き、帰りにきつさ店に寄りタクシーで帰宅。古小烏にある女学校では、裏の浄水池で山桃を取つたり、平尾山荘に「野村望東尼」の庵の後を尋ねたりした事が思い出されます。海水浴には泳ぎ自慢の父が長垂に家族をつれて行つてくれましたが、当時は交通の便も不自由だつたのに、どんなにして行つてたやら。大体山登り好きやつたもんやけん、日帰りで若杉~宝満の三ぐん縦走ば時時しました。昔、今の平和台あたりに、錬兵場があつて、子供の時、日本舞踊ば習いよつたもんやけん、陸軍病院に先生に連れられて、慰問に行き、ついて来た祖母が褒美にたんびに50銭くれたのが忘れられません、当時は1銭でニッケ飴玉が2ケ買える時代でしたから。帰りは扮装のまま祖母とタクシーで帰宅。なつかしかと言えば川端あたりにあつたとおもいますが、金文堂て言う本屋さんに兄が行くとき自転車の後ろにちょこんと乗せてもらつて就中行つた事です。川端ぜんざいも川端ですよね。一度行つてあまりの甘さに懲りて2度とゆきませんでしたが。のつぺらぼうの頭にうかんだままをずらずら並べましたので、読みずらかつたでしょう。おーきに。

投稿: hanazono | 2008年8月 2日 (土) 10時57分

> 「じのもん=地元住民(産物)」ていうと。
あ、そうか、そう言われりゃ、博多も「じのもん」が多かですかね。地下は少数派かもしらんです。お答えおおきにありがとうございました。

投稿: MISTAKER | 2008年8月 1日 (金) 01時21分

> 「池灯籠」の略じゃ~なかろうか?
ははは、そげなことあるめえもん!っと言葉返そうてした瞬間、なんか閃くもんのありました。案外とイケそうな解釈のような気のしてきとります。
おっしゃるごと、箱庭には池と川をしつらえることも多かったです。鶴やら亀やらの泥人形を実際に水ん中に入れよったですしね。どげな仕掛けか小さな噴水やらもあったごたります。ただそれだけなら池灯篭に結びつかんとですが、箱庭の木箱トロ箱の代わりに、石で出来た水盆やら水盤やらを使うとったと仮定したら、たしかに池灯篭の原型のような気がせんこともなかですね。それこそ生け花・生け人形ですもんね。良かヒントばもらいました。もちっと考えてみますです。う~ん、面白か発想ですばい。

投稿: MISTAKER | 2008年8月 1日 (金) 01時19分

> 昭和21年まで箱崎近くに住んどったばってん
箱崎でも電車道から浜側のごくごく狭いとこでありよった祭りやし、戦中はもちろん戦後もいっときは再開されんやったはずやけんですね、ご存知ないとは仕方なかっちゃなかですか。

hanazonoさん、最近は、博多のどげなことば思い出しんしゃるですか。何がいちばん印象深いとやろかな。戦争が絡んどうけん、あんましいい記憶はなかかもしらんですが・・・。

投稿: MISTAKER | 2008年8月 1日 (金) 01時08分

>「じげ」は熊本ん方じゃ使わんですか。
うちたちゃ、「じのもん=地元住民(産物)」ていうと。

投稿: リリー姫 | 2008年7月31日 (木) 10時01分

eye
「いけろーろー」は、「池灯籠」の略じゃ~なかろうか?
箱庭風の作品見たら、そげん思うたと。汗
こげな好い加減な解釈は、それこそ蟷螂の斧やろうと思うと。
網屋立筋ちゃー言えば、某お店のジョウモンサンな、今も元気で暮らしよんしゃーて聞いて往時ば偲ばるるばい。
sandclock

投稿: おきゅーと | 2008年7月31日 (木) 09時38分

いけろーろー、って これなにかいなー?と 英語ばしつかり知っとうとやなかばってん、これ英語よりむつかしかー、と思いながら読んだとですが、やっぱ知らんかったです。初めて聞き、見ました。昭和21年まで箱崎近くに住んどったばってん、戦争でなんがなんやら分らん生活やつたけんでつしょう、それからは西区での半田舎暮らしやつたしー。

投稿: hanazono | 2008年7月31日 (木) 03時57分

shakeさん、こちらこそ楽しませてもらいました。shakeさんの案内のなかったら、去年に続いてまた見逃しとるとこやったです。来年はまたゆっくり(地図つくっとって)一軒逃さず見てまわろうかいな・・・と思うとります。それにまちっと遅ー行かないかん。いろいろ反省点はありますばって、良か一日、良かお祭やったです。

> http://www1.bbiq.jp/hako-den/sub2.html
これは、古田鷹治さんの記事と一緒に読ませてもろーとりました。

投稿: MISTAKER | 2008年7月30日 (水) 23時43分

> 「むかし地下もんの自分」てどがんこつね?
こげん書いたとき、一瞬「かな書き」するかて戸惑ったとですが、やっぱ意味の通じにくかったとですね。
地下もん=じげもん=地下人(じげにん)=地元住民(産物)・・・のことですたい。ここでは、昔ここに住んでいた地元住民としては・・・の意味で書いとります。
「じげ」は熊本ん方じゃ使わんですか。例の肥後弁辞典にもなかったごたりますが・・・。

投稿: MISTAKER | 2008年7月30日 (水) 23時36分

MISTAKERさん、
暑い中お越しいただき、
ほんなことありがとうございました。m(_ _)m

http://www1.bbiq.jp/hako-den/sub2.html

投稿: shake | 2008年7月30日 (水) 22時55分

>いけろーろー
聞いたこつんなか。

「むかし地下もんの自分」てどがんこつね?

投稿: リリー姫 | 2008年7月30日 (水) 22時02分

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